
火を渡って気づいたこと
―祈りは、内なる清らかさから―
みなさん おはようございます、弘法寺住職の昭憲です。
10月10日、稲佐の浜にて第3回「平和の祈り火渡り」神事をおこないました。海風の中で炎を渡りながら感じたのは――祈りは一方通行ではない、ということです。
神仏から“いただく”力を、皆さんに“返す”光へと変えていく。
その循環の中で、私たちの内なる清らかさが試されます。
だからこそ、私は日々の食にも気を配ります。
何を食べ、どんな心で生きるか。
その一つひとつの積み重ねが、祈りの通り道を澄ませてくれるのです。
すべてを一度に変えることはできなくても、
「これでよいのだろうか」と立ち止まり、
ひと呼吸おく――その瞬間が、すでに修行なのです。
心の内が静かで透明であれば、
どんな小さな祈りも自然と届いていきます。
火を渡ることも、日々を渡ることも、
結局は同じ“祈り”のかたちなのだと感じます。
清らかにすれば、祈りは自然と通じます。
どうぞ皆さんも、できるところから実践してみてください。
合掌
令和7年10月15日
大本山 弘法寺
住職 上田 昭憲
